LUXEという違和感

2017年の夏の終わりにHiGH&LOW THE MOVIE2 END OF SKYを観て恐ろしい勢いでこのプロジェクトのことが大好きになった。

その流れでそれは必然のようにLDHの方々が提供してくれるエンターテイメントの虜になり、その中でもわたしは三代目 J Soul Brothersが一番好きになった。

運良く、ドームツアーも一公演、見れた。

LDHにはEXILEをはじめ、EXILE THE SECONDやGENERATIONSもそのほかにもたくさん所属タレントが居る。LOVE, DREAM ,HAPPINESSの言葉のもとみんなそれぞれの理念や信念に従ってエンターテイメントをわたしたちに提供してくれる。

これだけ個性豊かなグループがいる中で、どうしてわたしが三代目にハマったのかはツイッターで散々言ってるから割愛させていただきたい。

 

三代目はメンバーのソロ活動もすごく盛んで、私は自然な流れでメンバーのソロ活動も追うようになった。

そして益々ソロ活動が活発になるであろう2018年、ボーカル登坂広臣さんのソロ第3弾 シングル、「LUXE」がリリースした。

また前置きが長くなったけど、このLUXEに関しての一連のプロモーションや曲を受けての私個人の印象を話させてほしい。

 

—————————————————

 

わたしはこのLUXEを受けて、登坂広臣さんはソロ活動において「アーティスト」でありたいのか、それとも「エンターテイナー」でありたいのかが全く分からなくなってしまった。

三代目 J Soul Brothersは間違いなくエンターテイナーだと思っていて、メンバーそれぞれのアーティスト的な側面を生かしつつも根底にはエンターテイメントを提供するということがブレていない。逆にいうと三代目のエンターテイメントを壊してしまうほどのアーティスト的な側面は意識的に抑圧されていると思う。

だからこそのソロ活動だし、ソロ活動があるからこそみんな「三代目のエンターテイメント」をより強固にしているという自負がある。

 

わたしは、個人的な嗜好で「アーティスト的な側面が強い、世間的には少し捻くれていると受け取られやすい人」が元々好きだ。

その中で内面の面倒くささも、作る音楽も大好きな人が一人いて、その人は最近グループ活動を休止してソロで活動しはじめた。

たまたまその人と少しお話しできる時間があって、あくまで一部だけど休止からソロに至るまでの経緯を聞いた。

曰く、「ただ自分たちが面白いからやろうと始めたことが、グループの活動の幅が広がることによってその気持ちだけで行うことが難しくなった。曲も上手く作れなくなってきて、こんなことになるならいっそ辞めてしまったほうがいいと思った。」「でもグループを離れてソロを始めると不思議とグループでやりたいと思うことが増えて、あんなにスランプに陥っていたはずの曲作りも絶好調になった」とのこと。

これをうけて中には「ファンがいるのにそんなに簡単にグループの活動をやめてしまうなんて身勝手だ」と思う人もいるかもしれない。

でも私は「自分ができない・生み出せないと思ったら潔く手放してしまう身勝手さ」があるのがアーティストだな、と思う。

自分の生み出すものに限界がきた、もうやりきったと言って活動を辞めてきた人たちをたくさん見てきた。もちろん寂しいし悔しい。どうしてとも思ってきた。

でもその身勝手とも言えるほどの自分の価値観への忠実さがストレートに出せる人は「アーティスト的な側面が強い」とも思う。そして、それを個性として確立させている部分にも。

自分の表現だけを追い求める行為は、大衆を捨てるということだ。語弊が生まれるかもしれないが、支持者を選ぶ行為なのだ。

 

ここで三代目のツインボーカルのもう一人、今市隆二さんのソロについて話したい。

登坂さんは既にソロデビューしていたけれど、2018年になって今市さんもソロデビューして、もちろんリリースされてすぐに曲も聴いて、MVも見てプロモーションも出来うる限り追いかけた。

正直言って最高だった。

三代目 J Soul Brothersでは絶対に出すことのできない「アーティスト:今市隆二」がそこにいて、三代目のボーカルのソロデビューだけれど三代目の枠組みからは全く外れて、まるで新しいアーティストに出会えたような興奮が味わえた。

そして三代目がなくなってしまった時に、今市さんはエンターテイナーではなくてアーティストとして戦っていくのかもしれないとさえ思えた。

 

私はこの7人での三代目 J Soul Brothersが大好きだから、もし誰かが辞めるとなった時(おそらく一番現実味があるのはパフォーマー勇退の時だと思う)に三代目の提供するエンターテイメントはひとつの終わりを迎えるだろうし、その瞬間は必ずいつか訪れるだろうと思っている。

だからこそ今市さんのソロは三代目が終わったあとの今市さんの道を提示してくれたのだと勝手に私は受け取った。

 

そしてLUXEがリリースされた。

前作2つとも好きだったからとても期待していたし楽しみにもしていた。

そして聴いてみて強烈な違和感に襲われてしまった。

 

LUXEは強いメッセージ性を持った曲であるしそれはストレートに歌詞にパフォーマンスにと現れている。

スター故に浴びせられる賞賛と批判、自分とファンに求められているキャラクター性との乖離…

今までそういったものに傷つけられてきたのだろうし、それに耐えてきたのだとも思う。溜まったフラストレーションを今回は新曲という形で表現したのだろうとも思う。

でもとにかく強烈な違和感だけが残る。

インタビューでも度々言っている、自分のやりたいことをやっていくという意思表示。

自分に求められているものを投げ打ってでも、やりたいことを追求していきたいという姿勢。

歌詞やMVからも透けてみえるし伝わってはくる。でも、それは私が三代目が好きだから伝わってくるだけの表現になってしまっている。

CRAZY BOY(CRAZY BOYのソロはエンターテイナーとしての側面が強いと私は感じている)のフューチャリングも、アフロジャックの曲も、三代目のエンターテイメントの延長線上であって側から見れば「何が違うの?」と言われかねない。

 

月刊EXILEのインタビューでTAKAHIROさんが「ソロや役者として活動している時も、常にEXILEという看板を背負ってやっている」と仰っていた。

でもきっと登坂さんは、ソロでの経験を三代目に還元するという意思はあっても三代目の看板を背負ってソロを行うのは本意じゃないように見える。

 

だから私はとにかくLUXEの受け止め方が分からない。

登坂広臣という一人の独立したアーティストの曲として受け止めるには、あまりにも三代目 J Soul Brothersが提供するエンターテイメントの影が強すぎる。

かといって、三代目のエンターテイメントの延長線上にあるものとして受け止めるには、登坂さんが表現したかったことと矛盾してしまう。

 

そしてさらに分からなくなる。

登坂さんは三代目が終わってしまったときに「アーティスト」としての道を歩みたいのか、「エンターテイナー」としての道を歩みたいのか。

ほかのソロ活動をされているメンバーが、どちらに向かうかを明確に示されているから余計に。

 

そうして上手く咀嚼できないまま、私は今日も登坂さんを見ている。

結局は、「だれになんと言われても so what?」と言われてしまえばそれまでなのかもしれないけれど。

 

 

 

 

LDHにおけるエンタメとしての小道具であるファッションの話

【以前モーメントでツイートを纏めていたものの転載になります。】

———————————————————



LDH 及び HiGH & LOW に登場する洋服・小道具のチョイスが洗練されている/されていないのギリギリのバランスをもって、エンタメとして昇華されている話。


これは私の嗜好と知識が所謂「ドメスティック・ブランド」及び「コム・デ・ギャルソン」「コム・デ・ギャルソン創始者川久保玲」に影響を受けている、と公言しているデザイナーの皆様のバッググラウンドとキャリアに偏っていて、かつストリートハイファッションブランドに明るくないということを念頭に置いた上での定義になるのですが。


常々ファッションカルチャーというものはアートとビジネスをいかに効率よく両立できるか、というところで皆さん戦っておられるというのが私の勝手な持論で、そしてこの場における「洗練されている/洗練されていない」の基準としてこのバランスがアートに比率が高いことを指します。

且つ、

「洗練されている」と形容しているものはよりコアなファンが付きやすく、

「洗練されていない」と形容するものはより大衆的であるとした上でのお話になるのですが。


まず80年代パリ・コレクションにおける黒の衝撃を語る上で絶対に外せないヨージ・ヤマモト(以下ヨージ)とコム・デ・ギャルソン(以下ギャルソン)

この両者、【モード】に興味がない方からしたらまあほぼほぼ一緒なんですよね。違いが分かりづらい。

しかし近年のコレクションはギャルソンはよりアートへの比重が大きく(ニューヨークメトロポリタン美術館の展示はコム・デ・ギャルソンでした)、ヨージはよりビジネス的に。


そこでLDH及びハイローの皆さま、圧倒的に高い着用率を誇るのがヨージ・ヤマモト。

これは小林直己さんがモデルをなさっているのも大きいかと思います。

しかし、そもそもギャルソンとヨージを比較するとギャルソンのデザイナー川久保玲2chでいうサブカルでヨージのデザイナー山本耀司はヤンキー出身。


そして近年ヨージはadidasとのコラボライン Y-3 でぼろ儲け中です。

特にファッションに興味がない方でも、とりあえずsupreme のロゴが入ったTシャツと Y-3 と書かれたキャップを無闇やたらに着用しているオニーチャンたちを見たことがあると思います。

 一方でギャルソンも負けじとストリートカルチャーに響きそうなラインを展開中ですが、なんとコラボ先は D&DEPARTMENT という思想がビジネスよりアートに比率が高い企業。(ex.GOOD DESIGN SHOP)


この時点で、大衆的である(洗練されていない)という点においてはヨージに軍配が上がりますが、アート的である(洗練されている)という点だとギャルソンに。


それではここまでを踏まえた上で、ストリートハイファッションブランドの話に移ります。

まず外せないのが やはり supreme 。

当たり前ですけどこのブランド、LDHの男達がこぞって着ています。バカのひとつ覚えか?

バカのひとつ覚えもあるかと思いますが、現時点でストリートファッション・スケーターファッションの最高峰がsupremeであるのは事実。

このブランドを着ていること自体がストリートカルチャーピープルにおけるステータス化がされています。

だからこそ「ファッションと音楽で世の中を変える」MIGHTY WARRIORSは特にsupreme着用率が高い気がします。これは高級ブランドバッグをこれ見よがしに持つ感覚と近いものもあるかと。


そのsupreme は様々なブランドとのコラボレーションも盛んで、最近話題になったものだとルイ・ヴィトンがあります。このコラボアイテムはMIGHTY WARRIORS スピンオフでICEが着用。


ではここでギャルソンとヨージの話に戻りますが、以前コラボしたことがあるのはなんとギャルソンです。ヨージじゃないんかい!

このことを踏まえても、結局ギャルソンがより「アート的である」と捉えられている裏付けにもなるかと思います。


それでは話は大きく変わりまして。

ストリートファッションといえば裏原系(これは私の偏見によるものです)

裏原系ブランドといえばundercover と the bathing ape 黎明期の二大巨塔。

undercover 創始者は高橋盾

the bathing ape (以下 BAPE.) は NIGO.  

現時点で高橋盾はまだ undercover デザイナーですが、NIGO.は既にBAPE.を離れています。

ではLDH / ハイローの民が圧倒的に親近感を覚えるは両者のどちら?となった時、NIGOさんが10割ですよね。

これはNIGOさんが当初からデザイナーというよりカルチャーピープル(今はインフルエンサーという表現になるのだろうか)として名が知られていた影響もあるかと思います。

でも今のお二方の仕事を比較すると、NIGOさんってなんとユニクロのTシャツ作っています。


高橋盾さんが変わらずアンダーカバーで「ファッションショー」を行なっているのに対して、NIGOさんは自分のブランドhuman madeのお仕事の傍、ファストファッションブランドにも関わっている。

でもNIGOさんの仕事って、正直モード厨からすると少し旧時代的というかちょっと「ダサい」。安定はしているけど革新的ではないし、やはりモード最前線の人が支持していたり、盛り上がっていたりするのはアンダーカバーなのです。

この比較からしても「大衆的」であるのはNIGOさんであり、「アート的」であるのは高橋盾さんになるのでは?


ここで登場させたい、LDHのファッション番長NAOTOさん。クリエイティブディレクターをしているstudio sevenはNIGOさんの傘下みたいなもので、同時にhuman madeの広告塔のようでもある。

そのNAOTOさんは LDH apparel にも携わっています。


ではここまでを踏まえて、タイトルでもある「LDH 及び ハイローに登場する洋服、並びに小道具のチョイスが洗練されている/洗練されていないのギリギリのバランスをもってエンターテイメントとして昇華されている」のまとめに入りたいのですが。


まずクソサブカル女子という言葉に代表されるように、「アート的である(洗練されている)」ことは尊いことでありながらもマイノリティに傾きがちという欠点があります。

これは「ちょっと興味がある」という気持ちを持ってくれた人に対して間口を自ら狭める残念な部分だとも思っていて。


そこでハイローの衣装やLDHの皆様のお洋服に着目してもらいたいのは、ヨージにしてもsupremeにしても、NIGOさんにしても、「詳しくはないけれど知っている」コンテンツでありさらに一目見て分かるアイコニックなアイテムで商業的に成功しているブランドばかりなわけです。

だから例えば劇中衣装ひとつとっても、「あの衣装がカッコいいー!」と専門外の人が興味を持ってくれたとして、特定のしやすい(調べやすい)服でありながらも「初心者はちょっと着るのが難しいかも…」という不安を払拭してくれるブランドやアイテムばかりなんですね。

もしこれがギャルソンやアンダーカバーを着ていたとするとモード色が強くて「カッコいいけど真似するのは無理かも」と二の足を踏ませる理由になっていたかと思います。


では興味が元々ある人からすると、全てが「洗練されていなくてダサい」感覚に襲われるか、と言われると決してそうではなく「これは話題になっていたアイテムだ!さすが!」と思わせてくれるブランドチョイス。


私がハイローからLDHにハマって感服したのが本当にこの手腕で、大衆の皆さまにも受け入れられるビジュアルを維持しながらコアなファッションファンも納得させる絶妙なアイテム使いで結果エンターテイメントとして昇華させている。

どちらかに偏りがちになるので本当にすごいことだと思います。


(本当はモード厨からすると、やはり洗練されていない部分やダサいと感じてしまう部分は少なからずあるのですが、そこをすべて洗練されているほうに振り切れてしまうと今度は大衆に受け入れづらい=エンターテイメントコンテンツになりにくい。となるのでLDHのバランス感覚は絶妙だと思います。)(だってインターネッツのみんなからパリコレの洋服みてこれ何?!って反応してるの、たくさん見たことあるよ)


最後になりますが、決してLDHの皆さんが特定のブランドしか着ていないというわけではなくて、NAOTOさんはアンダーカバーのショーにしっかり行ってるし黒木啓司さんは今年一番ファッションピープルが欲しがっていただろうsacai × undercover のコートやギャルソンのお洋服を素敵に着こなしていらっしゃいます。

ファッションやカルチャーの最前線を知っていながらも、求められていることに合わせて自分を演出できる。そんなカッコいい男の人や女の子たちがいるのがLDHのエンターテイメント!ありがとうLDH!これからも楽しませてください!